カテゴリー「AC 共依存 ギャンブル依存症」の53件の記事

安らかな終焉

彼のお父さんが

亡くなられて

半月たった。

一日一日

この世から

あの世に

こうやって

旅立つのかと

教えてもらった。

正直

辛かった。

一日ごとに

人間が

人間でなくなっていくんだなと。

人間も生物なんだ。

生物が

無生物になる。

そんな感じだった。

頬がこけていく。

血色がなくなっていく。

顔が変わってくる。

段々呼吸しない感覚が長くなる。

。。。。。

いろんな変化を

毎日見るのが

辛かった。

毎日自問自答した。

「今日はわたしは病室にいけるのか?」

ごめんね。今日は辛い。

と断る自分にも出会えた。

最後、

彼とわたしが

彼の父の

死に目に会った。

いろんな出来事の中で、

「呼ばれた」

なと感じる。

父に会いに行って、

病室のお花を生けなおして

すぐ。

ほんの5分ぐらいで、

彼の父は

すぅーっと魂が

抜けた。

息を引き取ったというのは、

こんな感じなんだろう。

とても穏やかな最期だった。

西日が父を照らして

金色に近い光と一緒に

空に上がっていった感じだった。

彼の父は、

ギャンブル依存症だった。

最期は、

認知症のほうが

症状が強くなって、

ギャンブルはできなかったけど。

私が知っている

彼の父は、

足が悪くて、

家からの外出ができなくて、

静かにテレビを見ている父だ。

ろれつもあまりまわらなくて、

彼は「何いっとるかわからん。」と。

でも、

わたしは、

不思議と、

父と会話ができた。

庭の木々の話をよくした。

季節の変化を

唯一

庭で感じていた

彼の父だった。

認知症がひどくなり始めたころ、

彼の父は、

自分の通帳をすべておろして宝くじを買ってくるように

彼の母に言った。

といっても、

預金は10万円ほどだったらしいが、

彼の母は

「ついにおじいちゃん気が狂った。」

といっていた。

そんな様子を見て、

彼の父自身も

自分のおかしさに気がついた。

「もうお金はすべておばあさんにまかせる。

これでやっと楽になれる。」

そう言った彼の父。

ずっと、

ずっと、

長い間、

お金に捕われて

苦しかった。

そうわたしには聞こえた。

でも、

その時は、

まだ元気で、

お別れがこんなに早く来るとは思ってなかった。

父の最期の

生きる

戦う姿を

見せてもらった。

苦しい姿は

辛かったが、

最後の最後。

本当に

楽な姿で

神様になったようだった。

あ~、

死ぬことは

怖くないんだな。

わたしも

この世の修行を終えて

彼の父のように

あの世に旅立ちたい。

心残りは、

ダックス君のことだけだ。

わたしは、

何がしたいとか

そういうのは

なんかもういい。

自分を感じるのは

疲れる。

それでも

まだ

生かされているわたしだ。

歩むしかないんだよな。

依存症を抱えていても、

いろいろあがいても、

「生きていいんだよ。」

気楽に

生きていいんだよ。

亡くなった

彼の父から

そういわれているような気がして仕方がない。

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私は私でいたいんだ

人の

顔色を

見るのは、

もういい。

自分の

父や

母。

認められたくて、

わかって欲しくて、

父や母の

顔色を伺うパターンは、

辞めた。

わたしは

人のことばかり

気にしていたせいで、

自分の感情が

すぐには

わからない。

それでも、

時間がかかるが、

わかることも

増えてきた。

この夏休み。

彼の家にほとんどいってない。

彼のお母さんの

顔色を伺ってしまうからだ。

「それだけ、

あなたにとっては

大切な人ということだね。」

と仲間に言われた。

そういうことだな。。。

彼が大切。

彼が大切に思っているお母さんは

大切。

だけど。

なにより、

私が一番

わたしにとっては

大切なんだ。

お父さんの介護をしているお母さんは、

ストレスを

苦しさを

彼に

ぶつける。

私にも

ぶつけられるようになってきている。

わたしは、

もう

いやなんだ。

人の顔色を伺って生きる

生き方が。

お母さんが

当たってこようが、

私は私の感情を守る。

楽しい時間を過ごしている時に、

わたしはつらいのよ、、、

暗に、

嫌な顔をされても、

それは

お母さんの感情。

お母さんの感情はお母さんのもの。

私が奪うこと(なだめたり収めたり)も必要ない。

私の感情は私のもの。

私は楽しくすごしていい。

でも

今の私は、

彼のお母さんの感情に

反応してしまう。

自分の境界線を

守れない。

自分がなくなってしまう。

だから、

距離をおこう

と思った。

自分の両親から、

学んだこと。

やっと、

両親の

顔色や

感情に

反応しない

生き方を

学んできたんだから。

これ以上

苦しみは

増やしたくない。

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自分の思うようにしたい

彼や、

彼の母が、

介護を

一人で、

家族だけで、

何とかしようとこだわる姿に、

私は苦しくなっていた。

私も手伝えといわれているようで。

いい人になりたいからかもしれない。

薄情といわれたくないのかも。

限界を見るのが

私が嫌だったのかもしれない。

私は、

専門家の力を借りることを

提案した。

でも、

反応は

部外者は黙ってて。。。。

というような感じ。

伝えることは伝えたのだから、

あとは「底つき」を

見守るしかないんだろう。

そう思っていた。

彼の母からの

コントロールが激しくなってきて、

ますます

この思いが

むくむくと

頭をもたげる。

でも、

これって、

私自身も

コントロールしようとしてないか?

私の思うように

彼や、

彼の母が、

しないことに

イライラしている。

だって、

彼の家の介護は

彼の家の問題だ。

彼や、

彼の母が、

どういう「介護」を選んでも、

それは

彼らがそうしたいこと。

私は

家族でもない。

家族になるのも

まだ

自信がない。

私は私に生きる。

私に集中しよう。

彼らは彼ら自身に生かしめよ。

私が

コントロールしようとしてたから、

苦しかったのも

あるんだ。

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私を守っていい

彼の父は

認知症が大分進んで、

介護がかなり必要になっている。

一人でその介護を背負う

彼の母。

元保健婦だったという誇りなのだろうか。

疲れがたまって、

母自身調子が悪く、

病院に行った。

それでも、

公共の機関や

いろんなサービスを使わず、

一人で

「背負っている。」

ように見える。

でも、限界が近い。

一人息子の彼に、

「私一人でやっているんだから手伝ってくれればいい。」

といい、

彼が

少し出かければ

調子が悪くなったとか、

いろんな用事を頼んだり、

あの手この手で、

家にいるように仕向ける。

ように感じる。

彼が海に出かけたとき、

彼ではなく

遠まわしに私に母は電話した。

それは、

ただ聞いて欲しいだけ。

そう思った。

思おうと思った。

でも、

共依存のコントロールをされていると

思うと、

スムーズに理解ができた。

そう思うことが

多くて苦しくなっていた。

境界線を引いているつもりだったが、

母の感情をぶつけられるようになってきて、

危険を感じた。

認知症の彼の父は、

上手にはできなくても、

ボロボロご飯を落としても、

自分でできた食事。

洗剤を入れ忘れるけど、

洗濯ができた。

でも、

母は、

それが許せなくて、

すべて取り上げていく。

家から一歩も出してもらえない父。

もう足が弱くなってきてしまって、

転ぶと動けなくなってしまう。

でも、

まだゆっくりなら歩ける。

結局、

食事も母が口に運ぶようになった。

次の日から、

父は自分でご飯を食べれなくなった。

洗濯や、いろんな家事をすることを、

禁止されて、

ただ、

家で、

「テレビ見てて」

「寝てて」

ぼぉーッとすることしか許されなくなった。

父はできることが、

できなくなった。

夜、

家の中を徘徊する。

それに後をついて、、寝不足になっている母。

母を責める気は無い。

80歳の母は本当に命を削って

介護をしている。

ただ。

ただ。

私には辛い場所であることに気付いてしまった。

1.母にコントロールされてしまうこと。

「母」という存在にもともと弱い私。

母自身も限界に近く

辛く、

母は私までも家にいることを暗に強要する。

いろんな用事を頼んで。

昨日は、

私の用事で帰らないといけないと伝えると、

そこからしばらく無視された。

ひ孫の面倒を見て欲しいと孫(彼の娘)から頼まれ、

それに答えられない私に

怒りを「無視」という形でぶつけた。

私は私を守る。という気持ちで

自分に言い聞かすことで

その場をしのぐしかなかった。

母が無視しようと母の感情は母のもの。

私はわたしの気持ちを守っていい。

母の頼まれた用事に

答えることができないと、

無視され、

答えることができると、

とてもありがたがられてほめられる。

わたし、

母のコントロールされなくていい。

私は私でいい。

もう、

できれば、

コントロール合戦はしたくない。

2.共依存の母は

依存症者の元夫にしていた私。

できる力をすべて奪っていった、

私自身の姿。

母の

思うようにならないと

あの手この手で、

思うようにしようとする姿は、

私が元夫にしてきた「虐待」。

そして、

私自身も、

実母に

そうされてきたこと。

繰り返さなくていい。

私は気付いたのだから。

そして、

辛いのなら、

距離を持っていい。

私を守っていい。

3.認知症の父は、

依存症である私自身。

いろんなことをしてくれる母。

食事を作ること。

とてもありがたい。

家族の分と私の分も。

でも、

私は私自身のことを

やりたいのかもしれない。

できることまで

できなくなりたくない。

父を見て

すべてを奪われていく様子に、

人間らしさが

なくなってしまうのを見るのは、

あまりにも辛い。

できることが少ない自分。

まるで父は私自身のように感じる。

できないから

すべてを奪われてしまうなんて、

私は嫌だ。

できないけど、

できることから、

少しずつやっていきたい。

できることを増やしたい。

私は自分を育てたい。

安心して育てられる環境や人の中に、

自分をおくことが、

必要なんだ。

周りに影響されずに自分を主張したり、

境界線を引くまでの力は、

まだ

ない。

弱い私だ。

今は、

特に弱ってる。

「第一」はミーティングだし。

自分を守るために、

彼と一緒になれなくても、

しょうがない。

彼の第一は「家族」だから。

「自分は自分自身に生き、

他の人は他の人自身に生かしめよ。」

何度も何度も

繰り返した。

眠れない夜に

祈る言葉があることに

感謝。

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「お金」に捕われる

私の弱点の一つ、

「お金」

昨日、

スギ薬局に買い物に行った。

特売のティッシュを

義母の頼まれた。

私も

ついでに買い物したいものがあったので、

彼と二人で一緒にいった。

最近は、

一緒に買い物をすると、

彼が支払ってくれる。

ご飯もそう。

それでも、

このところの出費。

彼なりに

気に病んでいたのか、

ぶつぶつ言ってきた。

「何買うの?何千円も贅沢は駄目だよ。」

「贅沢じゃないよ。

必要なものを

お値打ちに買うだけだもん。

それに、

必要なものしか買わないし。」

「nobuは贅沢だからな。

それに、

最近、ランチしたり、

お肉買いに行ったり(BBQしたので)、

何かとお金が飛んでいくんだもん。」

という彼に、

(でも、そのお金はそんなに大きなお金じゃないじゃん。

彼の船にかかるお金や、

お付き合いでかかったお金は、

単位が違うのに、

文句は言わないくせに。

何で私と一緒にいるときの出費に

文句言うのかなー。

自分も一緒に愉しんでるのに。)

なんだかもやもやしながら、

お店に向う。

「いいよ、自分で払うから。

お財布もってないから、

後から払うわ。」

「いや、別にいいけど、

節約してよ。」

私は、

節約していると思っている。

安く買えるときに、

買うのだし、

必要じゃないものは

相当悩んで買うタイプだ。

なんだか、

かなりいやーな気分がした。

私は化粧落としや、

洗剤など、

身の回りの物を買いたかった。

結局、

5千円ぐらいかかった。

すると、

案の定ぶつぶついってきた。

その時、

(これじゃぁ、

一緒に生活していくなんて、

無理なんじゃないの?

わたしの5倍の収入もあり、

家計はほとんど義母が担当しているから、

私より余裕がある。

そして自分の趣味にかけるお金が

多いこの人は、

自分優先。

これじゃあ先行き不安だな。)

そう思ったら、

すぅーっと

この人好きという思いが

なくなっていく自分を感じた。

私は大切にされてない。

そう感じたのかもしれない。

(お金払って、

すぐこの場は

彼と離れたい。

あー、お金の切れ目は

縁の切れ目っていうけどなんだかな。)

そんな、

さめた気持ちと、

頭にくる気持ちで

その思いを

ぶつけたくなる。

でも、

ちょっと待て。

この衝動は、

間違いなく私のパターン。

特に、

「お金」は私の弱点。

冷静な判断ができなくなってる。

どう考えればいいのか。

よくわからん。

気持ちを抑え、

彼と話すことを控え、

時間を過ごした。

眠れぬ夜を過ごす。

彼のお金は彼のもの。

どう使おうと

彼の勝手だ。

家族の気分でいるから、

もう、

彼に甘えているけど、

私がずうずうしいだけなのかもしれない。

親しき仲にも礼儀ありか。

お金は苦手だ。

母は、

遺産を手にしてから、

お金の亡者となった。

両親の夫婦仲は悪くなった。

それまで、

度が過ぎる「けち」が

さらに、

底意地悪さを増した。

「お小遣い」と渡したお金は、

機嫌が悪くなると

「返して」といわれた。

何か手伝ったりすると、

お礼と称して

「お金」で返された。

信用できないものとなった。

別に

裕福でなくていい。

「お金」で苦労したくない。

そう思って、

結婚したら、

夫は

借金だらけのギャンブラーだった。

「お金」にからむ

心の傷が

冷静な判断や

対応を狂わせる。

なにより、

なにがどうすれば的確なのか、

適当な「お金」の使い方を

私は

未体験だ。

しかたない。

彼と一緒に食事に行く。

お金を払ってもらうのは、

甘えるという気持ちと一緒。

甘えていいのか、

はじめは戸惑った。

「いいよ、甘えてよ。」そういった彼。

でも、

彼も変わってきたかもしれない。

それに、

おごること=甘え・愛情

ではないかもしれない。

そういえば、

「nobuの収入なら、

俺が払うしかないよな。」

そういう彼の言葉。

本当は、

彼はそういうお金の使い方を

したいわけではないのかもしれない。

まぁ、

それでも、

彼が決断して

彼がしていることだ。

どうしようと、

どう思おうと、

彼のこと。

私は私だ。

私はどうしたいのか。

この5千円のことで、

彼との付き合いをやめる、

という発想は、

「ゼロか100か」だ。

変えられないものを受け入れる落ち着きを。

彼の金銭感覚。

彼のお金の使い方。

彼は変えられない。

変えられるものは変えていく勇気を。

私の対応は変えられる。

妙に「恋心」がさめてしまったのは変えられないな。

だって、感じてしまったのだから。

でもそれに捕われて

すべて彼との付き合いをなくす

ところまで

発展することもないでしょう?

それは、

昔のパターンだから、変えていく勇気なんだろう。

少し

苦手な分、

時間をかける必要がある。

仲間にも助けてもらおう。

そして二つのものを見分ける賢さを。

よくわからないことが

まだいっぱいある。

ということだよな。

こうなると、

不思議と

彼と肌を合わせたい気持ちもなくなる。

不思議なもの。

時間が要る。

それでも

ひとつわかったこと。

彼が私よりお金があるから。

彼が私と家族(の様な付き合い)だから。

彼は私に、おごるのが当たり前。

それは、

あまりにも

私、身勝手だ。

自分のことしか考えてないし、

相手を思う気持ちが欠けている。

そういうのは嫌だ。

私かなり身勝手だったんだ。

わかってなかった。

自分の世話を

人のふんどしでしようとしていないか。

それも必要な今の自分の力。

だけど、

今この問題が

目の前にあるということは、

自分の世話を

自分ですることに向き合う

チャンスを

きっと

もらってるということ。

少し、

彼と離れて、

自分の時間を持つ必要があるな。

と思ったら、

ちょっと楽になる。

あまりにも、

私たちは

べったり。

お互い、

自分の時間が少ない。

今回の5千円も気になった。

今朝、

もう一度。

用件だけ、簡単に。

「五千円払うわ。」

「それは別にいいよ。」

それで会話は終わった。

ほんと、

ちょっと「お金」の

棚卸しを

する必要がありそうだ。

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先取りの平安

「先取りの不安」

悩まされると、

苦しい。

「これから生活していけるのか。」

そりゃあ、

どうすればいいのか

考えることも必要だけど。。。

まだでない答えのものは、

今は

解決できる力がない

思う。

じゃあ、

今できることは何か。

今、

今日

一日

何をすればいいのか。

ということなんだろうな。

彼も、

「先取りの不安」が

大の得意だ(^^;)

彼の得意分野とわかって、

私も得意なタイプだから、

二人で

一緒に

苦しむ~~

となると

どうにも辛ーい。

巻き込まれずに

少し距離をおいて

見ることを学んできた気がする。

今朝、

「まだ見えぬ

先のことを悩んでも

苦しい時間が多いだけだよね。」

なんて彼が言った。

思わず、

「先取りの不安だね。」

と一言。

「先取りの平安だったら、

幸せだねー。

同じ時間過ごすなら、

そうしたいもんだねー。」

これいいわ~。

「先取りの平安」

心の持ち方を変えたい。

そういえば、

今週土曜日の

教員採用試験。

準備してないだけに、

かなり気が重い。

これも、

捕われ。

心の持ち方か。

おとつい、

久しぶりに開いた参考書。

あー、これやってみたいわ~。

やっておくといいよなぁ~。

そう思えたこと。

後二日で間に合わないかー、と

責めるのも一つ。

せっかく、

そう思えたんだから、

来年?!のため?

これからの授業をするにも自分の力になるだろうし、

なにより、

ちょっと興味が持てた。

ゆっくり、

気楽にやれるいいきっかけになったー

と思うのも一つ。

できれば、

自分を責めず、

自分に優しく

生きたい。

先取りの平安。

身につけたいな。

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受け入れる力

妹の友人のAちゃん。

ギャンブラー夫の借金で苦しんで、

離婚の相談メールが

妹にきた。

私にもメールが届く。

ギャマノンや

関連機関を伝え、

正しい家族の対応を学ぶこと。

まず家族がこころの傷を

癒すことを

伝えた。

借金は肩代わりしないことも。

Aちゃんから

今の状況、

借金の金額など

辛い状況のメールが届く。

夫を責める言葉も。

もし離婚しても

「子供の前では駄目な夫でいて欲しくない」

から、

ギャンブラー夫を

精神的に

支えていくつもりと。

「私は強いからまだ頑張れる。」

から、

相談しなくても

家族で頑張る。

そんな返事メールがきた。

そっかぁ。。。。。

じゃあ

私は

「手から放す」

ハイヤーパワーを「信じて」「お任せ」

しかないよな。。。

彼女にとって、

きっと

ギャマノンのような存在があるということを

依存症という病気があることを

知る機会を持ったということが、

いま

必要なことだったんだ、きっと。

正直いうと、

(一度でいいから、

ギャマノンいってみて!)

と言いたい気持ちもある。

正しい家族の対応を学ぶことは

依存症者にとっても、

かぞくにとっても、

回復につながる道だろうし、

楽に生きる

道具になる。

でも。

でも。

その道具は

使えるだけの「力」

受け入れるだけの「力」が

必要なんだろう。

「底つき」体験が

必要かもしれない。

どちらにせよ、

わたしのできることはもう今はない。

だから、

手を離そう!

だなー。

夫の作った

借金返済のために

必死に働く彼女。

そう思うと、

自分もそうだった。

消費者金融に払った借金は

人生の

授業料。

そのおかげで、

自分を生きる

きっかけを

頂いたんだもんね。

でも、

もうこれ以上は払うきないよぉん~~

そんな今日は

離婚一年目。

なんだか、

時間がとても過ぎたようだ。

一人と一匹生活で

踏ん張ってきた気が

する。

もちろん、

仲間や彼の存在は、

大きい。

でも

やっぱり、

踏ん張って

頑張ってるなぁ、nobu。

背負う荷物は

随分

少なくなってきたと感じる。

まぁ、

なんとも、

ギャンブル依存症の夫を

そばで見守ることは

できなかった私。

今の私の力では

そうだ。

別に

自分を責めているわけじゃない。

相手を責めているのでもない。

お互い

離れることが

必要だったんだと思う。

私にも

元夫にも

一緒に歩む

力がなかったんだろう。

それでも、

人生とは

こういうものなんだなぁ。

夫婦として

ご縁があった。

一緒に添い遂げられないご縁だった。

残念だけど

仕方がない。

先ほどのAちゃんの話に戻るが、

子供たちもそう。

相手に

「受け入れる力」がないのに、

伝えても

仕方がないときがある。

物事には、

きっと

学ぶ「時機」が

あるんだ。

それを見極めるのが

教師の

力のひとつかもしれない。

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仲間っていい

久し振り遠方の仲間と電話で話した。
仲間の
話を聞いてー
の声が
嬉しい。
今の私には、気軽に電話がまだ難しいだけに、
仲間の連絡だけで、
勇気や元気をもらう。
なんだろう。
たいしたことも言えなかったし、
まだまだ話したかった思いも残ったが、
明るい気持ちになった。
仲間の問題に引きずられず、
境界線がひけたのかな。
仲間の力も、信じられる。
安心感を感じる。
仲間に会いたくなった。
仲間の
存在って
すごい!

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片付ける  別れと出会い

離婚した元夫と

別居して2年弱。

元夫が家を出て行った。

元夫は必要なもの以外は

多くの持ち物を置いていった。

置き手紙で

「後はすべて処分してもらって結構です。」

とあったけど、

その処分が大変なんじゃん!

とため息。

自分のことは自分でやってよーと思ったり。

尻拭いを

別れてまでしないといけないの~?なんて。

でも、

私もいろいろ元夫に

しでかした。

傷つけた。

虐待もした。

そう思うと、

ごめんなさいが言えないかわりに、

こういうことで償えるのは

ありがたいことなのかもしれないな。

彼がそういうチャンスをくれたんだ。

そう思えるだけ、

時間がたったんだなー。

ちょっとうれしい。

恨み言を言うより楽だ。

それにしても、

片付けるのに時間がかかった。

本当に彼に返さないといけないものが

何か絞れなかった。

はじめは

セーターなど洋服類。

本など箱にしたら、

ダンボール5箱以上になって、

途中でやめた。

「必要な物」と

「処分していいもの」「私が処分した方がいいと思うもの」

区別がつかなかった。

この間、

一つの部屋が

ダンボールの空箱と多くの荷物でごちゃごちゃになったままだった。

結局、

生命保険証券や印鑑。

学生時代のトロフィーや賞状・メダル類。

若いころのアルバム、

の一箱を送った。

一箱で済んだー。

結婚式の写真から始まって

元夫のものや

元夫との思い出に関するものを

区別して、

処分するのに

こんなに時間がかかった。

でも

当然かもしれない。

10年近く

一緒に「家族」をしてきた

大切だった人だ。

これぐらいかかって丁度いいのかもしれないな。

あわてなくていいんだもん。

そう思うと、

できるものから、

少しずつ、

片付けてこれたと

思う。

特にアルバムの整理は辛かったし、

気が重かった。

涙も

片付けるたびに

流した気がする。

携帯もその一つ。

やっと整理できた。

自分の心の準備と共に

物の整理ができるんだな。

自分の気持ちに

あわせて、

我慢強く、

向き合えた気がした。

ゆっくり

無理強いせず、

自分に優しく。

別れがあると、

出会いがあって。

デミコと別れビッツに会い。

携帯もしかり。

別れも出会いも

ハイヤーパワーのなせる業なんだろう。

別れは

苦しい。

だからこそ

新しい出会いの喜びが

深くなってきているように

思うのは

歳のせい?かしら。

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お金かぁ

昨日、

国民健康保険と国民年金を払ってきた。

一年分で、

両方あわせて

261000円。

ワーキング・プアには大きな出費だ。

年収から減額措置も申請できそうだけど、

もらう時全額もらえなくなってしまう。

今まで頑張ってきたのに、なんか悔しい~

と思うと、

頑張れるうちは

払うしかない。

それでも、

自分の歳では、

年金をもらうこともできなくなるんじゃない?と思っている。

それでも払う必要があるのか。

自分が苦しいときは

守ってもらえない法律が多くなっていくこの国で、

「義務」と称して

国に

使われる

駒のような国民。

教育基本法で「愛国心」を育てるといっていたけど、

育てるものではなく、

育つものじゃない?!

自然と沸いてくる感情を

外から

そう仕向けることこそ、

コントロール以外の何者でもないんじゃないの?

だんだん

国民を守ってくれないこの国に

不信感こそあれ、

愛国心は失っていく。

それでも、

昔からの伝統や文化の素晴らしさにふれると、

ふっとこの国に生まれてよかった。

そう思える。

味噌汁を飲むとほっとする。

そんな味噌を作ってくれる人々に触れる。

そんなことが

愛着を生むように思う。

実際、子供たちと向き合っていくなかで、

この国が目指す方向性と

ギャップを感じることが

少なくない。

それでも、

この国で

いま

子供は生きている。

私も生きている。

車を買うこと一つでも、

自分のお財布を通して、

「じぶんはこれからどうしたいのか。」

向き合う。

そう思うと、

離婚してから、

初めての大買い物になるかもしれない。

軽自動車はちょっとなーと思うこだわりも、

まず乗ってみて決めようと思ったり。

悩むからには、

足を使って

一つ一つ

心配を

取り除いていくことなんだろう。

ギャンブラー元夫にしろ

お金に捕われる母の存在にしろ、

これまでのわたしは、

「お金」に

一喜一憂してきた。

「お金」に使われない使い方。

「お金」に捕われない生き方を

していきたい。

失敗しながら、

やっていこう。

まずは

足を使って

「車探し」の自分見つめに

また今日も行ってきます。

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ハイヤーパワー

明日、明後日と

横浜ギャンブル依存ファミリーセンター「ホープヒル」の

家族教室と12ステップセミナーに

参加する予定だった。

久しぶりの

スタッフ仲間に

会える喜びで

とっても×2楽しみにしていた。

でも急遽キャンセル。

車がオーバーヒートしそうになった。

だっくす君と

車でのおでかけ。

一人で高速に出かけるのは久しぶり。

車で寝れるように

フラットシートにしたり、

ガソリン補給。

洗車までして、神奈川県の地図まで買ったところで、

これだ。

お土産に

名古屋ならではのカップラーメンまで大量に買ったのに、、、

わがデミコ(デミオに乗っているので、、愛車をそう呼んでいる)。

メンテも一応しているし、

こういうことは始めて。

あー、本当に残念。

それでも、

夜中出発予定だったので、

夜中、高速で立ち往生になっていたと思えば、

本当にラッキーだったんだろう。

これはきっとハイヤーパワー。

この一週間。

彼とのこれからについて

向き合いたくない現実を

紛らすために

かなり飛ばしていた。

予定をギュウギュウ詰めにして

疲れもピークだった。

昨日は

結局

あまり寝ていない時間を過ごした。

今日になって

落ち着いたものの

一人で出かけるにはかなり不安があった。

でも、

楽しみにしていた

春休みのメインイベント。

だっくす君との時間も大切にしたい。

新幹線ではなく

あえて

車で

布団まで積んで

ちょっとしたプチチャレンジだった。

きっと

この状態では

ここまでだよー

ハイヤーパワーが伝えてくれたんだと思う。

そう思うと、

ここまでで

かなり満足かもしれない。

この一週間、

本当に

自分でよく頑張ったと思う。

新しい人とのお付き合い。

母や

祖母との語らいを通して

自分のルーツを見つめる作業。

久しぶりの知人に会いに行く。

そして、

彼と今まで

棚上げしていたことに

向き合った。

自分の

苦手なことや

できない部分を

見つめたと思う。

辛くて

いっぱい涙を流した。

仲間に

ハグして

「大丈夫だよー。」

って

してほしかったなぁ。

安心できる場所がある。

そのことだけで

私は幸せだとこころから感じた。

仲間に感謝。

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現実を見る 立ち向かう勇気

来年度の

赴任校。

やっぱり

どうも

区内一荒れているよう。。。。

なんか

きっと大丈夫なんて

思いたい自分。

まわりも

今の学校と同じ感じだと思うよと、

やんわり伝えるけれど。

いやいや、

現実を見れば

かなり過酷かもしれない。

先取りの不安とは言えど、

こうあってほしいという

妄想に

浸りたい気分は

否めない。

それでも、

「解決できるところに問題はやってくる。」

きっと、

わたしに

頂いた

チャンスなんだろう。

まぁ、

覚悟決めて

向き合うしかないんだろうな。

先輩先生の

「疲れたら休めばOK。」

やれるところまでやろう。

それでも

なんで

同じ区を

3校も回っているんだ。

まぁ

考えても仕方ないか。

家から近いし、

見守ってもらえる

先生たちが

いる幸せ。

先輩先生方の

胸を借りて、

ヘルプをいっぱいしながら、

来年度も

やりますかー。

それまでの3週間ほどの休み。

しっかり充電しよぉ~。

今週はとりあえず、

体を休めたり、

ごそごそしよっかな。

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コントロール注意報 手から放せ!

昨日は

前任校の女性の先生だけの

お疲れ様会。

名古屋で話題のミッドランドスクエアーで

お食事してきました。

個性のあるメンバーとの

屈託のない会話は

楽しめます。

そこにとってもお世話になった、

国語の先生がいらっしゃいます。

私よりお若いのだけれど、

パワフルで

なにより

子供がだいすき。

私、

大好きな先生です。

ふと、

その大好きな先生と

彼のことを

コントロールしようとしている自分を感じ

危険!!信号。

実は

その先生は

今年

彼と一緒のクラスを担任しています。

そんな中、

彼は、

今学校で

孤立感を感じて苦しいこと。

彼は

その国語の先生には

「クラスの仕事をしっかりやってもらって助かっている。」

とか

「今年の彼女は去年となにか違う。それに

子供への愛情がさらに深い気がする。」

「いい行事に終わった。

国語の先生ありがとう。」

など感謝の言葉を

直接は伝えないで

私には話すこと。

私は

直接話せば

お互い意思疎通ができるんじゃない?

なんて

余計なおせっかいを感じています。

国語の先生も

「わたしは甘いと感じていらっしゃるかもしれませんけどー。」

なんて

チラッと彼のことを気にする発言。

いやー、

そんなことないみたい!

その逆で

とっても感謝してるみたい。

そう言いたいけれど、

私が

彼の気持ちを伝えるのも

なんだかおかしい。

私とお付き合いしていることを

彼は

照れくさくて

学校では話したいくない様子だし。

それは、

二人のそれぞれの気持ちで、

二人の関係。

私が

あれこれ

口を出すのは、

おかしいんじゃないか、、、、

それでも、

大好きな

二人が

気持ちを

通じてほしいと

思うのは、

わたしの気持ち。

でも、

これは

私のコントロールかもしれない。

というより、

何かしたくなって

お互いのいい話しか

伝えなくなりそうで、

自分の中の

何かサイレンが

鳴り始めた。

これはコントロール注意報。

好きな人たちが

どういう結果になろうとも、

それは二人の問題で、

私は

見守ることしかできないはず。

上手く気持ちが伝えられないのは、

彼の問題。

というより、

彼はそれをわかって、

そうしているのかもしれない。

自分はそっと見守る役目。

そんな

サポートの役割に

シフトしてきたと

考えてそうしているのかもしれない。

これは

彼の問題なのだ。

わたしは

私が

どう思うか。

それは

私にできることなのか。

私がすることなのか。

ちょっと冷静に考える必要がある。

そう感じた。

そう思うと、

国語の先生の彼女との話は

本当に楽しい。

子供への愛情があふれ、

子供への接し方も

学ぶことが多い。

それでいいんだなー。

彼が彼女をどう思うか。

彼女が彼をどう思うかは、

私には関係がないこと。

見守ることはしても、

手から放さなきゃ。

彼の力を信じよう。

彼女の力を信じよう。

つまり

私が

私の力を信じることなんだろう。

私は彼女に対してどう感じているか。

私は彼にどう感じているか。

主語を

「私」にすることで、

少しずつ、

コントロールの

巧みな

からくりから

逃れるような感覚に。

ふぅ~。

「大好き」とか

「大切」な存在になると、

とたんに

強力な

共依存パワーが

復活するからなぁ。

ハイヤーパワーを

「信じて」

「お任せ」

自分には無力。

ステップ1・2・3を

実践するのは

なかなか

格闘を

要します。

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反応に反応する 弱点を認める

前回の

仲間から

境界線を超えられたと感じた話を

ミーティングで

話した。

ハイヤーパワーでしょうか。

超えられたと感じる仲間は

お休みでした。

話した後、

先行く仲間は、

「反応に反応したんだね。」

といってくれました。

仲間が

私の話に反応して

話をしてしまったことに、

今度は私が反応してしまった。

「反応するという弱点に気付けてよかったんじゃない?」

弱点と認めたくなかったけど、

反応してしまったのは確かだ。

そっか、、、

反応するのは弱点なんだよなぁ。

そう認めたら、

ストンと楽になりました。

反応した仲間は、

思ったことを話した。

私は、

それに反応してしまったのだ。

たとえ、

私の話に対してだろうと、

私は

反応しなければ

それですんだかもしれない。

そして、

傷付くことを恐れ、

一人で踏ん張っていたこと。

体の調子が悪くなるまで

踏ん張らず、

こんなに楽になるなら、

早く仲間に話せばよかったなぁ。

今回の

水澤都加佐氏の「そのまんまブログ」にこんなことが書いてある。

http://ahc.weblogs.jp/blog/cat167011/

言いたいことがいえないのは、なぜ?

怒っているって言えない
好きだって言えない
いやだって言えない
お願いしますって言えない
言いたいことが言えないって
とても苦しい
いえない自分を嫌いになったり
情けなくなる
相手の反応がこわいから?
拒絶されたとき、つらいから?
もしかしたら、自分の感情や欲求より
相手の反応や感情を優先してしまっていない?
相手を大切にするあまり、自分を傷つけてしまう
自分を傷つけてまで、相手を大切にする
言いたいことを言うことは
自分を大切にすること
そう考えて、もう一度挑戦してみよう

相手を大切にするのもいいが、

まず自分を大切にしたい。

私の今のテーマは、

自分で自分を大切にすること。

失敗はチャンスだから、

失敗を恐れず、

自分を大切にしてみよう。

考えてみれば、

子供にも同じことをしている。

私の発言に

子供が反応する。

その反応を見て

私もまた反応する。

反応に反応したとき、

たいてい、衝突が起こりやすい。

わたしは、

いろんな人を変えては、

反応に反応する弱点を

学んでいるんだ。

人を変えて

同じテーマを

なんども

練習していくうちに、

染み付いたパターンの

方向を

少しずつ

修正していくんだろう。

それほど、

子供時代から身につけたパターンは

しぶとい。

でもそうだよなぁ。

このパターンがなかったら、

私はきっと、

機能不全家庭の中では

生き残れなかっただろう。

今は、

平安な生き方を

求めて、

生き方を

変えたほうが

楽になってきた。

ゆっくり

いろんな人の力を借りて、

失敗しながら

やっていこう。

そう思うと、

自分の反応する弱点に気付かさせてくれた仲間に

心から感謝します。

気付かせてくれた仲間。

見守ってくれた仲間。

みんなに感謝。

そして、

頑張っている自分も

えらい!

よく頑張ったよ~~。

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境界線をこえられる恐怖

自助グループでは

「言いっぱなしの聞きっぱなし。」

という

ルールがある。

自分が話したことに

意見や

指示を与えない。

自分で

話を聞くことや、

人に何もいわれないで聞いてもらえることで、

「気付き」をもらう場所。

そう思っている。

あるミーティングで

わたしがした話について

感じたことを

話したいと

話された仲間がいた。

その時、

わたしは

「?」

「これは私の話に対する意見じゃないだろうか。」

と思った。

なんだか、嫌な感じがした。

私が、単に

その仲間に

私自身が未熟ゆえに

反応してしまったのかもしれない。

そう思い直して

「今、仲間が話している話は、

私とは関係がない。

仲間が感じている話。」

そう切り離すことを試みながら、

耳を傾けた。

だんだん、

わたしは

仲間に

とても巧みにコントロールされかかっている感覚を覚えた。

仲間は、

私の話について自分が思うことを伝えようと

している。。。。。

そう感じたのだ。

でも、

わたしは

その仲間と

上手く境界線が引けないことに気付いていた。

自分の母親と

似ているように感じていた。

それは、

母から

生き方を学んでいる

自分に似ているということ。

境界線に、

超えてしまっても気付かないで

土足で

ずかずか

入られている

感覚を

感じてしまった。

こころが

痛い。

「これは、私が未熟なせいかもしれない。」

「仲間に反応しているのは、

自分に向き合うのが怖くて

仲間のせいにしているかもしれない。」

その時は、

なんだか、

胸がざわざわしながら、

自分自身の問題かもしれないと思い

やりすごすことに。

一週間ぐらいしてからだろうか。

きゅうに、

境界線を越えられたという恐怖が

襲ってきた。

ミーティングは

自分の大切な場所。

でも、

安心して

心を裸にして

無防備な状態の時の

ナイフに

感じた。

とても、

心が痛くて痛くて

辛い。

でも

このことを

違う仲間に

話すのは、

悪口やそしりにならないか。

相手のせいにしてしまうかもしれない。

話を

外に持ち出すのは

タブーだろう。

いま、

この書き込みも、

タブーなのかもしれない。

何がよくて、

何がいけないか、

混乱している。

ただ、

傷つける行為はしたくない。

自分の不安定さを感じるし、

仲間も、

私自身も、

傷付かないだろうか。

よくわからなくて、

ただ、ただ、

自分の心の痛みを

感じながら、

相談できず、

苦しかった。

その時

先行く仲間のブログの言葉。

「感情にいいも悪いもない。」

そうだ。

私の感情は

そのまま受け取っていい。

わたしは怖い。

怖く感じているのは、そのまま感じていていい。

境界線を越えられたと、感じたのだ。

同じ体験をするのが、怖いのだ。

その場所は、

今の私にとっては

安心できる場所じゃないのだ。

辛いと、

問題を

すぐに、

人のせいにしてしまいがち。

仲間のせいにしないで

自分の気持ちに

向き合って、

その場所で

今感じていることを

話したいと

感じた。

混乱も、

恐怖も、

心の痛みも。

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一人で頑張らなくていい

今日は

彼が

さんりんぼうだったようで、

泣きの電話がかかってきた。

「そっかあ。

それはつらいよねー。

泣きたかったら

私の胸で泣いていいよ~(笑)」

「いや、泣かんけどサー。」

なんていって

電話を切った。

以前の私だったら、

大切な人が

辛い思いをしている。

なんか自分にできることはないかと、

いろいろ情報を集めたり、

あれこれしよう

としていただろう。

でも、

これは彼の問題。

彼の問題は彼が向き合うこと。

彼が助けを求めてきたら、

そのとき

できることであれば、手伝う。

辛そうなのはかわいそうだが

今、私に

できることはない。

できることといったら、話を聞くぐらいかな。

それに、

わたしより

生きること14年も先輩の彼だ。

どうすればいいかなんて

私よりよくわかっているだろう。

そう思っていたら、

彼からメールで、

お友達に話して落ち着いたとのこと。

彼には、

いろんな

心の開ける

人がいる。

それでいいんだな。

そう確認した。

以前なら、

私以外の人で落ち着くんだったら、

相談しないでよーなんて、

私をないがしろにされたような気になっただろう。

その時

浮かんだこと。

「一人に集中しない。」

以前のパターンは、

「一人に集中」タイプ。

自分のすべてのことを、

彼またはパートナー

身近な人とで

解決しないといけない。

それは、

「家族の問題は家族の秘密。」

という

自分の生育歴から、

身近な存在の

家族で

解決しなければならない

という

思考パターン。

でも、

家族は

全能ではない。

彼やパートナーは神様じゃない。

人間なのだ。

だから、

できないことだって多い。

私の重荷を

まるッと抱えるなんて

ましてや

できない。

でも、

夫なんだから、

パートナーなんだから、

お互いの重荷を

抱えあうのは

あたりまえ。

しなければならない。

なんて思っていた。

オー、そりゃぁ苦しいわぁ~。

いろんな役割の人が

周りにいていい。

いろんな人に助けてもらいながら、

生きていけばいい。

自分だって、

神様じゃない。

人間だ。

できることなんて

そう多くない。

全力は尽くすが、

できないことはできない。

できることが

人によって違うから

助け合えるのかもしれない。

彼の話を聞くことはできる。

彼の問題の解決はできない。

彼の問題を取り上げないことはできる?!

やってみようと思う。

それでいい。

自分のできないことを、

やろうとすると

無理がくる。

無理は

苦しいし

結果を悪くするだけだろう。

そう思うと、

ついつい

親しい人とだけ付き合って

付き合いを

広げたくない傾向がある自分。

でも

助けてもらえる

人とのつながりを

作っていくのは

自分が楽に生きることかもしれない。

仲間の存在は

そう思うと、

今までなら

考えられない

人脈だろう。

お互い大切に思える

尊敬できる

人たちとの

つながりを

大切にしていきたい。

少しずつ

苦手なことも

やってみてもいいかもと

思った。

仲間だけでなく、

職場や

いろんな場所で

繋がれる人を

見つけていこうと

思う。

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大丈夫だよ。

安心できる仲間に

「nobu、大丈夫だよー。」

といわれたら、

うるうる

涙が出てきた。

もうひとりのわたしが

インナーチャイルドの

わたしに

「大丈夫だよ。」

と言ってるけど、

それとは違う

仲間の言葉には

不思議な力がある。

そう仲間に言ったら、

「もうひとりの自分にまだ力がないんだねー。」

といわれた。

そうか。

そうだ。

もうひとりのわたしの

存在は

とても心強い。

とても大切な存在になった。

でも、

まだ

自分が

思っているほど

力がないんだ。

少しずつ

力をつけていくしかないんだね。

そう思ったら、

何かと踏ん張って

がんばってる自分を

ほめたくなった。

ゆっくりいこう。

ゆっくり。

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迷った時~ 「気になることは やらない方がいい」

ある仲間から、

今日も一言をもらった。

「気になることは やらない方がいい。」

私は、

たいてい

気になったら、

やっていた。

その仲間は

ある先生の講演から、

こんな話をしてくれた。

依存症の別れた夫は、

回復の道を歩み始め、

仕事をするようになった。

別れた妻に、

回復の道を

歩み始めたから

会いたいと伝えた。

でも、

もう

別れた妻は、

その時点で

『離れた』と、

会うことを拒否した。

依存症の彼は、

別れた妻への、

罪悪感や、

自分を認めてもらいたいという想いから

気になって

会いに行きたかった。

拒絶され、

結局

スリップする。

仕事を始めて、

子供には、

お金を送るようになる。

でも、

たいていは

送り返される。

同様に、

拒絶されたことで

スリップする。

「気になることは やらない方がいい」んです。

本当の意味の

償いは、

自分(依存症者)が

淡々と

日々

回復の道を

歩むこと。

それが

償っていることになると。

私は、

その話を聞けて

よかったと思った。

別れた夫への

いろんな思いや、

別れた夫の両親に、

手紙の返事を一切していないことが、

重く心にあった。

返事を書いた方がいいのか。

別れたいまさら、

何か書いても

意味があるのか。

自分が

いい子になりたいのだろうか。

感謝の気持ちもある。

まだ自分でも

わからない気持ちが

渦巻く。

ずっと気になっていた。

だから、

何もしないことにしよう。

わたしが、

回復の道を粛々と歩むこと。

それでいい。

きっと、

時期がきたら、

そういうことも

あるかもしれない。

ステップ2・3。

ハイヤーパワーにお任せなんだろう。

仲間に感謝。

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一人暮らしの病気は辛い?!

一日横になるだけで、

からだは

だいぶ

楽になる。

薬に頼りすぎている気がしたので、

「医食同源」で

食事と

睡眠で

治してみる。

おかげさまで、

テスト期間中、

仕事がお休みだから、

ゆっくり時間が取れる。

まぁ、

やらないといけない仕事はあるけど、

いまは

やる気がなーい。

まだ横になりたい。

パワー不足。

こういう私に甘く!優しく!!できるようになった。

仕事の山は気になるものの、

元気になったら

頑張るかp(^^)q

それにしても、

一人暮らしの病気は辛い。

病院に行くのもしんどいのに、

買い置きの薬もなくなった。

食べ物もない。

だれか、

SOSを

したいなぁ。

これが

変に気を遣って、

すっとできない。

やれるところまで

やってみたいのかな。

私のパターンだ。

「イチゴ買ってきて~」

「アイスほしいな~」

「白いご飯、炊くのがえらい~(名古屋弁で「だるい」という意味)」

「おかゆ食べたい~」

おかげさまで、

まだ食欲はある。

そして登場。

だっくす君。

買ってきてくれる役立ち犬!!

ならいいけどー。

こういうときに限って、

寝ている毛布に

おしっこをかけたりする。

そうですね。

寝てばっかりで

お相手できないもんね。

すみませんね。

それぐらいの

だっくす君の

怒りは

大目に見ないとね。

ごめんごめん。

意を決して、

買い物へ。

だっくす君なりに、

そばに寄り添い

心配してくれて。

何よりも

心強い。

ありがとね。

これも自立した喜びか?

にしても、

病気になると、

弱気になるなぁ。

体が資本だぁ!

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『依存症から回復した大統領夫人』 自己憐憫からの脱却

今、

『依存症から回復した大統領夫人』を

読んでいる。

一昨年買ったのに、

なんだか

そのままになっていた。

手にしたら、

一気に読める。

分厚い本だけど、

今の

自分は

回復に向かいたいんだなと、

再確認。

私はこんなに大変だった。

私はあの時辛かった。

自分の傷を

話すのは、

自分を癒すと思ってきた。

確かに、

話すことで、

自分の傷を

確認でき、

癒しになっている。

ただ、

傷口に気付いて

少しずつ

自分と見つめるようになってきた

今。

自分はかわいそうなのだと、

誰かに、

守ってもらったり、

わかってほしいという

気持ちで

話していないか。

なんだか、

ブログに書くことも、

自分を

哀れんでいるような

なんとも

しっくり来なくて、

書いては消し、

書いては消す。

この本は、

自己憐憫ではなく、

回復への道のりとして、

描かれている。

私も

そうしたいんだ、と感じた。

回復への道のりを歩みたい。

どうすれば、

自己憐憫になり、

どうすれば

回復への道のりになるのか。

違いは

はっきりはまだわからないけれど、

目指す方向が

みえてきたような。

ということで、

遅ればせながら、

ブログ名も

ちょこっと変えてみました。

この本に

勇気と

方向性を

教えてもらっている。

先行く仲間の

声は

大きい。

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自分に必要なこと 依存症者にとって

現実をみつめると、

経済的な

厳しさを

目の当たりにして

気分が

苦しくなる。

実際、

生活できる

仕事を変えるか、

仕事を増やすという方法を

検討する時期なのかもしれない。

仕事を増やそうと思えば、

きっとできると思う。

塾講師や、

家庭教師など、

以前は、

休みもなく、

働いていたから、

それに戻るだけ。

でも、

今の私は、

自分を見つめる時間が

必要だと感じている。

ゆっくり

過ごす時間。

自分のために、

自分のわがままを通せる時間。

依存症と

認めれば認めるほど、

今の生活でも、

いっぱいいっぱいと

感じる。

しょうがない。

わたしは、

病気なのだ。

自分の病気を

無視して、

仕事を増やしたり、

経済的余裕を求めても、

結局、

病気がひどくなれば、

仕事どころじゃなくなっていくのだろう。

そう思えば、

あせっても仕方ないんだよなぁ。

自分に本当に必要なもの。

自分を癒す時間。

そう思うと、

本当に必要なものは

なんだろう。

お金も必要なものに

使おう。

今の私に

必要なものは、

自分の時間。

あれも、これもと

欲張っても

あせるだけで

手には入らないのだから。

一つずつ。

人のペースに惑わされず、

歩こう。

欲張りの時は、

余裕があるとき。

本当に、

苦しくなったら、

働かざるを得ないのだから。

先取りの不安だな。

今を生きよう。

粛々と、

積み重ねていこっ。

ふと、

仲間に会いたくなったよぉ。

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苦しいときは、早めの「助けて~」

授業妨害する子供を

なんとか

自分で

なだめて(コントロールして)

収めようと

格闘してきた。

でも、

これは

かなり苦しい。

先日、

久しぶりに、

こりゃ無理だなー

と思った。

いつもなら、

怒ったり、

なだめたり、

笑わせたり、

あの手この手で

やってみる。

ふと、

「苦しいな。」

と感じて、

もうこれは

他の先生にヘルプを求めるしかないと、

早めに対応できた。

対応したからといって、

子供が変わるわけでもなく、

妨害することに

変わりがないが、

自分は、

以前より

楽に対応できた。

自分が楽なら、いいと思う。

自分が楽だと、

授業は

気持ちよく進めるし、

他の子供たちも、

比較的落ち着く。

妨害する問題生徒だって、

注意されることで

何か得ることがあるかもしれない。

それは、

わからない。

でも、

その子供のことは、

その子供自身が向き合うこと。

私の手から放す。

自分が楽でいいんだ。

それでなくても、

十分苦しいんだから。

苦しいのを

とことん我慢する

体質というか、

パターンを

手から放したいなと

思う。

「苦しい。」と感じたら、

(もう少し頑張るか、、、)

と思わずに、

早めに助けを求めてみる。

それぐらいで、

ちょうどいい気がする。

「苦しい。」

思うまでに、

私の場合、

とりあえず、

やれること(なだめる、怒る、優しくする、、、、)を

たぶんしてるから(^^;)

早めというのは、

それでも

遅めだもんな。

毎回、

反省仕切り。

「今日は失敗。

もっと早くに教室から出せばよかった。」

とか、

「今日は、早めに出しちゃいましたー。」

とか。

思ったことを、

素直に言うことで、

先輩先生に

教えをいただける。

「それでいいんだよ。」

「失敗かぁ。まぁそういうこともあるわ。」

「それは失敗だね。こうしてみたら。」

いろんな先生の

見方や、

対応の仕方を

学ぶことで、

自分がどうしたいのか。

自分は何は譲れて、

何は譲れないのか。

自分の「軸」

みたいなものを、

毎日毎日の

授業で

確かめさせて

もらっているようだ。

毎日、

修行の場だなぁ。

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中間がない

仲間と話していると、

「気付き」が多い。

人と接する時、

自分と

対等に向き合うことの

何と難しいこと!!

と感じる。

カウンセラーや、

先行く仲間は、

私より

知識が多くて当然。

だから、

自分ができることを

カウンセラーや、

先行く仲間ができないと、

「えっ、できないの?」

なんて

ばかにする。

馬鹿にしてなくても、

なんだか

がっかりする。

自分のことは棚に上げて、

皮肉や、

批判が

身についているのがわかる。

一方で、

やっぱりすごい

と思うような、

発言や行動、

対応を

感じると、

「この人についていけば、

間違いない!」

と、

崇めてしまう。

カウンセラーだって、

先行く仲間だって、

同じ

人間。

失敗もある。

弱点もある。

得意分野もある。

魅力的な部分もある。

尊敬できないところもある。

誰だってそうだろう。

自分もそのはず。

だけど、

自分を、

「私は何でもわかってる。」

「私に間違いはない。」

神様みたいに思ったり、

「なんにもできない。」

「もう、生きてる意味がない。」

だめだめ人間に思ったり、

中間がない。

このことに気付き始めて、

あがったり、

下がったりしながら、

中間に近づきたいと

揺れつつ

挑戦している。

価値観というか、

物の見方を

変えるのは、

時間がかかるんだなー。

少し、

こころの弁護士を

持つようになって、

自分批判を

減らして、

自分を甘やかしてから、

人にも

優しくなれた気はするけれど。

仲間の姿は、

揺れながら

行ったり来たりする自分の

今いる場所を

確認させて

もらえる。

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うれしい誕生日

今年の誕生日。

穏やかな気持ちで、

自分で自分をお祝いしよう!と

思っていた。

同僚の先生は

月は違うが同じ「1日」生まれ。

翌日、

朝に会うと

突然握手を求められて

「?」

と思ったら、

「誕生日おめでとう!」といわれた。

うれしいなぁ。

「はいっ、誕プレー」

ドーナツの入った袋をつくえにおいてくれた。

「安くてごめんねー」

気持ちがうれしい。

その日は、

彼のお母さんの手作りのハンバーグ。

おいしかった。

妹達の

おめでとうメール。

彼の、

朝一番の

「おめでとう!」

みんなの気持ちに

自分の誕生を

心からうれしく思う。

何よりも、

自分自身におめでとう。

穏やかな気持ちで、

自分の誕生を祝える喜びを感じた。

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離婚したことを 想う

仲間と

自助グループで

わかちあうと

気付きを

たくさんもらって帰ってくる。

帰りの家路は

心の中が

あれやこれやと

いっぱいになる。

それでも

気付くことは

楽になるな。

今日

仲間と話している中で、

離婚したことを

考える機会をもらった。

夫が

ギャンブラーとわかって

自分も

共依存、ACと気付き始めたころ。

自分と向き合う辛さや、

夫との向き合い方にも

自信がなくなって、

今までの自分が

すべて崩れていくような、

自分の感情も

何もかも

なくなる感覚。

もう、早く楽になりたい。

そんな時、

とにかく

夫の問題から

離れたくて、

離婚しかない。

そう思っていた。

離婚したいと思っても、

状況が許さなかったり、

パワーがなかったり、

できないときもあるだろう。

実際

離婚届を出して、

半年以上も

動きが何もなかった。

その時間は、

今思うと、

私にとっても

自分を見つめる

必要な時間だった。

見た目には

動きがなくても、

私にとっても、

きっと

彼にとっても、

心の中では

いろんなものが動いて、

育っているのかもしれない。

「離婚した」ということが、

いいのでも、

悪いのでもなく、

目に見えない何か力で

そういう結果に

なった気がする。

この結果にいたるまでに、

多くの方々に、

助けていただいた。

離婚の直接の

話し合いは

最後は

それぞれの両親に

助けてもらった。

親に

お願いを

したのは

初めてのことだった。

カウンセラーの先生や、

仲間の温かい見守りは、

一歩を踏み出す

力を

育んでもらった。

それでも

離婚できないときもあるだろう。

ただ、

夫と私の

生きる中で

こういう結果に

なった。

そういうことなんだと思う。

「もう、

どうしても離れたい。」

経済的な心配。

自分の居場所の問題。

生活の問題。

世間体。。。。

いろんなことを

考える以上に

とにかく

離れないと

自分はだめだ。

これ以上生きれない。

生きるための

それまで背負ってきた荷物を

手放す勇気が

きっと

底付きで

感じたんだな。

自分の命と健康。

そしてだっくす君。

それだけあればいい。

最近

落ち着いてきたせいか、

時々忘れるこの思い。

でも

生きていく中で、

大切なのは、

仕事でも、

お金でもない。

まずは命。

健康。

子ども。

そして、安全な生活。

安心して過ごせる居場所。

私は、

離婚するまでの

辛い気持ちと共に、

かけがえのないことを

学んだんだ、きっと。

改めて

見つめなおすと、

その時わからなくても、

どうしてそうなったか

見えてきたものがある。

後からわかることがある。

答えは

急いで

見つけなくてもいいのかもしれないな。

あせらないって、

そういうことなのかな。

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ボランティアを 考える

五木寛之の

『生きるヒント5』に

「ボランティアは熱伝導に似ている」

とあった。

熱伝導。

熱いものから、冷たいものに熱さが伝わる。

同時に

熱いものは熱が冷めて温かさが均一になる。

ボランティアも

同様だ、

というのだ。

熱が冷めることは、

むしろ

自然なことで、

冷めてやっと自然に戻れる。

そんなことだったと思う。

なるほどなぁ。

確かに、

私の知っている

ボランティアの仲間は、

みんな

志が

熱い人が多いと感じる。

その熱さに

ついていけない自分に

寂しさを感じていたのに

気付いた。

人は人。

自分は自分。

比較することないよなぁーと、

自分で思うと

まぁそっかと、

納得する。

その一方で、

まだ熱い自分も

どこかに感じているんだけれど。

ボランティアで

つながった仲間は、

自分の孤独で寂しい思いに

心強い安心感を

与えてくれた

かけがえのない存在。

そんな仲間と

このまま

離れていくのではないか。

ボランティアの

仕事をしないと

ひとり孤独に

なっていくのではないか。

そんな思いが

よぎる。

でも、

仕事は仕事。

仲間は仲間。

もし、

繋がりがそれでなくなったら

それだけのものなのだろう。

人は

だれでも孤独なもの。

仲間、

愛する人、

家族、、、

寄り添えたとしても、

生きて、

死ぬ時、

だれでも孤独なのだ。

それを

受け入れるのは

寂しい。

辛い。

今日は、

なんだかとても寂しい気持ちに。

一人ぼっちという気になる。

それも

生きるということ。

こんな時、

空白を埋めたくなるパターンが

ふと

頭をもたげた。

まぁ、よしよし。

孤独を感じるのも

私の感情。

人は孤独。

だからこそ、

人との繋がりが

愛おしく、

大切に思えるのだろう。

この感情も

味わおう。

自分を見つめて

この文章を書きながら、

前向きに思えることができたことに、

感謝。

やっぱり仲間が

大好きだー!

わたしが

そう思えたら、

それでいいや。

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心の弁護士

何かの本に書いてあった。

「心の弁護士を持とう!」と。

わたしは、

ゲーム依存症なので、

今スリップ中。

でも、

自分を責めないことに

今回挑戦している。

いままで、

スリップして、

落ち込み、

自分はまた後戻りしたと、

自己嫌悪に陥る。

罪悪感。

自分を責めてきた。

なんかこのパターンでは、

堂々巡りだなぁ。

悪循環だ。

私の病気「依存症」は

そんな簡単には治らない。

一生付き合っていくのだから、

ちょっと違うアプローチをしてみよう。

自己嫌悪や自分を責めるのは

いわゆる裁判官。

私の中には、

自分を罰する

閻魔さまのような

裁判官が

真ん中にドカーンといる。

そりゃあ、

スリップは

いけない。

そんなこと百も承知だもん。

なんで私は辞められないんだ。

なんて意志が弱いんだ。

病気の症状と頭ではわかっていても、

なんでミーティングにいけないんだ。

なんで、なんでと、

自分をこれでもかと責める。

Sだなぁ(^^;)

そうなるのがわたし。

心に弁護士もいなくちゃ私責められてばっかりだ。

そうやって、

あれもだめ、これもだめと

生きてきたのだから、

すぐに辛く苦しくなる。

「そういうノブでいい!」

そう言ってあげる弁護士を

心にもとう!

そう思って、

このところスリップしている自分を見ていると、

ちょっと

客観的にわたしを見ている

もう一人の自分が

現れた。

パソコンのスイッチをつけると、

「きっと

時間のある限り

ゲームをするんだろうナー」と、

何か罪悪感と

誘惑と

やったら駄目!という自分と

何かを感じる。

ただ、まぁやってみるかと

今は静観する。

ブログも

ゲームをすると

書くのが面倒になる。

これが私の中に潜む病気なんだなぁ。

客観的に思う。

スリップへの

「恐れ」がある。

パソコンのスイッチを

つけるという

ただそれだけのことが

恐怖になっている。

なんだか、

不自由な生き方だなぁ。

誰かと一緒にいないと、

スリップの衝動を

抑えられない怖さを抱え、

一人で家にいられなくなっていた。

それは、

一時的にはいいけれど、

一人の時間がないと、

結局

スリップすることになる。

これが現実逃避なんだ。

スリップする自分も、自分。

スリップへの怖さを

感じている自分。

その自分を冷静に見つめよう。

心の弁護士は

自分見つめの

強い味方なのかもしれない。

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体が弱い

ここ3ヶ月、

体がだるくて、

横にならないと

どうにもならないときがある。

まるっと一日

横になると、

ようやく

動く気が沸いてくる。

自分で

その

どうにもならないだるさが

予測できない。

急に、

おそってくるので、

予定が立てられない。

病院で

検査してもらったが、

ストレスや鬱のような

心身症のようなものかもしれないと

いわれた。

まぁ、そういわれたら、

そうでしょうね。

今日も、

朝の散歩中に

もうどうにも動きたくなくなった。

休みに入って、

彼と

体力づくりのため、

いつもより少しながめに

散歩をしたが、

その長めが

私にとっては

負荷が多すぎた。

スパルタ?!体育の先生の彼は、

「これぐらいの距離」

という距離だったようだが、

私にとっては、

ちょっとしんどかった。

結局

今日一日寝て過ごすことになった。

彼にあわせてしまっているのかな。

それでも、

横になるなら、

自分の家で

横になりたい。

彼が、

往復1時間の道のりを

送ってくれた。

私は、

運転ができることもあり

妹や家族の

あっしーに

なることはあっても、

お迎えにきてもらったり、

送ってもらうことは

ほとんどなかった。

彼が

わたしの家まで

送ってくれることに、

とても

悪い気がした。

でも

甘えたかった。

素直に甘えようと思った。

彼の好意に

ありがとうと

伝えるだけでは、

なんとなく

物足りないような気がして、

機嫌をとりたいような気になったり。

でも、

静かに

素直に

好意を受ければいいんだよなー。

そう感じた。

体が弱いことを、

認めるのが

嫌だった。

どうしてかな。

体が弱いと、

役に立たない存在と、

ののしられた気分に

なるからだ。

母から

そう感じた。

そうなんだな。

私の古い

生き残るための感覚なんだ。

でも、

いまはもう、

なくても大丈夫な

感覚。

私は体が弱い。

自分の体の声を聞きながら、

休ませてあげられる。

休んでもいいんだ。

そして、

少しずつ

動けるように

体力が

ついてきているのも

感じている。

急には変わらない。

でも、

それでいい。

少しずつ

着実に

変わっているのを感じるでしょう。

だから

体が弱いのも、

認めて大丈夫。

弱いことは悪ではない。

弱いから

わかる痛みもある。

ありのまま受け取ろう。

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生と死 深い悲しみの目覚め

横になって、

やっと

彼に

寄り添える自分を

感じた。

痛いおなかを、

彼が

さすってくれた。

「もう、こうできないと思った。」

ふと

彼がそういった。

離れた辛さを思い出し、

涙が出た。

彼は、

離婚した奥さんが、

15年間連れ添った末、

子供を置いて

出て行ったこと。

裏切られた思いが強いこと。

女の人は

結局

捨てることができるという

不信感を

感じていること。

老いや

死への恐怖に

向かっていること

を話した。

前の奥さんと、

私は、

違う。

裏切らない。

そんなことを、

言うつもりはない。

そんなこと、わからない。

彼は

まだ

癒えない心が

あるんだ。

NHKで手塚治虫の「いきる」テーマのテレビを

やっていた。

それを見ながら、

彼は、

「死」に

「老い」に

向き合うことを

していくんだと思うと話した。

私は

「生きる」に

向き合ってると伝えた。

生死の話になって、

私は

母との事に

捕われて

どうにも辛くなった。

辛くなると「子供を産まなければよかった」と

口癖だった母。

「私は、いやいやお父さんにせがまれて、

あんた達を産んだ。」

「辛いとき、nobuを連れて橋から飛び降りようと

何回もした。」

私は母から、

生きていることを

認められず、

反抗し、

機嫌を伺い、

いい子をやって、

母役割までやってきた。

それでも、

結局

母からナイフを向けられることとなった。

それは、

「もう母に認められようとする生き方を辞めていい。」

神様の

プレゼントだったのかもしれない。

そのことは、

私の人生を

歩める

大きなきっかけになったから。

ただ、

悲しみが

深く

深く

沸いてくる。

彼の「死」に向きあう、

という言葉は、

今まで

生きた感覚がなかった私を

思い起こした。

昨日は、

悲しみで

涙が、

嗚咽が

抑えられなかった。

夜中、

目が覚めて、

重荷を告白したことの

罪悪感が

広がった。

この重荷は、

彼に話して、

解決するような、

問題じゃない。

重すぎる荷物と、

彼は、

思ってないかもしれないけれど。

でも、

私は、

彼に話したことで、

気持ちが軽くなると言うよりは

かえって、

話してしまったと言う

思いが強く残った。

専門家のいる

場所で、

話そう。

私の母への悲しみが、

こんなに

深いと

改めて、

驚く。

ぜんぜん

癒えてないんだな。

もうそろそろ、

この捕われから、

抜け出したい。

重ーい気分の

この悲しみは、

私の感情。

いいんだ。

解放したかったんだ、きっと。

罪悪感を

感じるのも

私なんだ。

今月は、

インナーチャイルドに

ゆっくり向かい合える

機会が

多くなりそう。

「大丈夫。

安心して

出ておいで。

揺れても

罪悪感感じても

あなたは

私の

大切な存在。

見捨てないからね。」

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そばにいてくれてありがとう 2

辛かったり、

悲しいと、

無意識に頑張っちゃって、

糸が切れると同時に、

ガクンと

悲しみたちが

襲ってくる。

私は、

ネガティブ感情を

素直に感じられなくて、

自分を痛めつけて、

糸が切れると、

限界を超えて

やっと

ネガティブ感情を

感じることができるようだ。

そういうパターンで、

悲しみや

辛さを

感じてきたみたい。

仲間に

「がんばらなくていい」

といわれて、

涙して。

そうだな、

がんばらなくていいな。

そう思った。

一方で

なんか頑張りたくなっちゃうのだ。

仕事を終え、

少し離れた

妹親子のところに行って、

3歳と

1歳の

姪・甥の相手を

目いっぱいして、

帰ってきた。

帰りの運転で

ふと交差点を曲がる待ちのとき、

すれ違うトラックに

飛び込みたい衝動に

かられた。

「あー、

そっか。

わたし

やっちゃってるな。

まだまだの

自分なんだな。」

と思った。

家に帰って、

あふれる涙に、

楽になる。

「あー、

頑張っちゃってるんだな。

こういう方法でしか

感じられないんだな。」

がんばらなくていいよ

仲間の言葉を

思い出した。

ネガティブ感情を

素直に

感じられるまで、

待っていられないんだ。

泣きたいんだ。

がんばらなくても、

ゆっくり

悲しみたちを

味わう、

違う方法探そう。

泣ける映画を見るのもいいか。

仲間の存在は

大きい。

自分は

大丈夫。

そう思えるのは、

自分を信じる力もあるけど、

やっぱり、

それも

危うい。

仲間の

目に見えない

大きな見守りが

大きいんだな。

ありがとう。感謝です。

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離れることができたのは 成長かも

見離され不安が

強いのに、

離れることを

受け入れることが

できた。

受け入れてはいないかー。

でも

仕方ないと、

思える。

そう思うと、

私にとっては

大きなことかもしれない。

自分の気持ちを大切にしたら、

こういう結果になった。

できない自分を

認めて、

無理に頑張りたくない自分を

感じ

伝えた。

今の自分には

期待に応えることは

難しいと

伝えた。

自分を大切に

できた。

自分を守れた。

できないことが多い私だから、

相手の気持ちに

応えられなかったら

しょうがない。

赤ちゃんが、

大人の要求に

応えられないんだもん。

赤ちゃんには

赤ちゃんしか

応えられないこともある。

辛いけど、

しかたないな。

相手には相手のペースが。

私には私のペースがある。

私、

できる事が

少しずつ増えてきたと思う。

これから

できる力を

信じられる自分も

感じる。

でも、

まだよちよちだ。

相手は、

わたしができるのを

待たなければいけないことはない。

歩調が

あわないのは

しかたない。

あわせたり、

そういう努力を

彼としたかったな。

でも、

相手に

あきらめられちゃったということかもしれない。

追っても仕方ないんだろう。

とっても

大切にしたい

出会いだった。

何が何でも

どんな手段を使っても、

手放したくない。

そういう

自分の思うとおりにしたい「我」は

意味がない。

人は変えられないからな。

きっと、

自分を大切にできたことは、

自分を

信じる力に

なるんだろう。

離れることができたのは

自分は

自分がいると

感じてきたせいかもしれない。

仲間がいるという

心強さも

大きい。

変わらない自分。

変わってきた自分。

感じる。

きっと、

また、

右に左に

揺れるんだろうなぁ。

その揺れも

楽しむか。

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『今日一日のアファメーション』 体がいうことを聞かなかったら休む

11月14日の

『今日一日のアファメーション』は

体がいうことを聞かなかったら休む

です。

 体がいうことを聞かないときには、

体を休めましょう。

無理に押しきると、

ますます調子が悪くなります。

精神的なものが体に出てくる場合も同じです。

少し静かな時間をとって

休んでみましょう。

頭が混乱したら

体を休めましょう。

気が動転して感情が高ぶったら、

体を休めましょう。

 静かにして、

体をゆったりさせ、

ソファに楽に体をしずめたり、

横になったりして、

呼吸に注目してみましょう。

体、頭、心が

疲労している場合は

何も考えないで、

しばらくじっと動かないで

いてみてください。

 ストレスがあるのに、

押し続けるのはやめましょう。

ダウン・タイムがあってもいいのです。

しばらく必要な休みをとると、

頭、心がすっきりしてきて、

どうしてそんなに疲れているのかが

わかってきます。

無理しないで

体から出るメッセージに

気をつけましょう。

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嬉しい 仲間の笑顔

久しぶりに

ギャマノンに行った。

始まっていたので、

そっと入って行った。

見慣れた顔を

見ると、

ほっとする。

仲間も

私の顔を見て、

「あ、まるちゃん(私のアノニマスネーム)、、」

笑顔で返してもらえた。

うれしいなー。

安心する仲間がいる。

幸せ。

今日は、

ある仲間が

とっても美しくなっていた~。

回復の姿を

見せていただくだけで、

元気をもらった気がした。

ブログを見てくれてる仲間と話をしていて、

「あー、

私は仲間に見守られてるなぁ。」

と、

とっても安心感を感じた。

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『今日一日のアファメーション』 他人の成長より自分の成長に努力する

10月29日の

『今日一日のアファメーション』は

他人の成長より自分の成長に努力する

です。

 他人の成長より、

自分自身の成長に努力していますか。

相手やまわりの人が、

まちがった行動、

害になるような行動をしているのを見て、

つい手が出たり口が出たりしていませんか。

相手の行動が頭からはなれず、

イライラしたり、

怒鳴り散らしたり、

口げんかになっていませんか。

相手のことより、

自分がイライラしていることに気がつきましょう。

自分がひどい言葉をはき出したり、

怒鳴り散らしているのに、

気がつきましょう。

 自分の言動だったら、

変えていくことができます。

自分でも嫌いになってしまうような人間に自分がなりつつあるのではないか、

気をつけてみてみましょう。

 イライラしたら散歩や、

瞑想や、

リラクゼーションの技法を使って、

心を休めましょう。

紙に

自分がどんな感じがしているのか

書いてみましょう。

こうして努力すると、

自分と相手が、

もっとはっきり見えてきます。

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『「家族」が幸せを取り戻すとっておきの方法』  私は何をしたいのだろう

『「家族」が幸せを取り戻すとっておきの方法』より

「私は、何をしたいのだろう?」

自分の望みを大切にすることは、

決して自分勝手ではありません。

むしろ、

自分の思いをおさえつけておいて

「あなたのせいで私は不幸だ」

と責めたり、

「あなたのために私は我慢している」

と恨みを持つほうが、

よほど自分勝手です。

小さなことから練習してみましょう。

今日は、何を食べたいですか?

どんな洋服を着たいですか?

気分を変えたいと思ったら、

美容院にいってみる。

観たい映画があったら、

出かけてみる。

きれいな空気を吸いたいと感じたら、

自然の中を歩いてみる。

自分が楽しむための時間をつくりましょう。

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『今日一日のアファメーション』 何かが失われたとき、思いっきり泣く

10月17日の

『今日一日のアファメーション』は

何かが失われたとき、思いっきり泣く

です。

 何かが失われたとき、思いっきり泣きましょう。

誰か知っている人が亡くなったとき、

思いっきり泣きましょう。

手術をして体の一部を切り取ったとき、

思いっきり泣きましょう。

失恋をして恋人を失ったとき、

思いっきり泣きましょう。

親子の縁を切ったとき、

離婚したとき、

子供が家を出て行ったとき、

友達関係を切ったとき、

仕事をやめて同僚と別れるとき、

卒業して別の世界に行くとき、

依存していた人やアルコールなどの物質を捨てたとき、

思いっきり泣きましょう。

 失われた人、物、事への

悲しみを表現する

グリーフワーク(嘆きの仕事)は、

大切な一過程です。

悲しみをすっきり流し去ることができないと、

新しい一歩を踏み出すことが難しくなります。

 涙は、

深い傷を癒してくれます。

「泣いちゃだめ」

「しっかりしなさい」

などと止めてしまわないで、

自然に止まるまで泣いてみましょう。

泣けなかったら、

大きな声を出して、

悲しみを表現してみましょう。

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我が家

私は生まれ育った家に、

ずっと、

住んでいる。

10年前、

両親が家を建てて、

引越ししたが、

この古い家は

そのまま。

その家に

元夫が入ってきた形だ。

この古い家が、

私は、

どうにも嫌いだった。

部屋の配置が悪いから、

両親の喧嘩が

絶えなかったんじゃないか。

夫が

借金をするんじゃないか。

体調が悪いのは、

家が古いから、

ねずみのせいかもしれない。

風水に凝ったり。

家のせいにしていた。

三十数年間。

住んだこの家が、

好きになれなかった。

この頃、

この家が、

いとおしく思える。

どうしてかな。

いとおしく思えると、

手をかけたくなる。

古い家なので、

遠慮なく、

気にせず、

手を加えることができる。

彼が、

だっくす君の腰痛対策に、

スロープを手作りで作ってくれたり、

玄関に

もの掛けを

作ったり。

ラティスで、

ソファにわんこがのれない様に

柵を作ったり。

私は、

いつか使うだろうと、

とってあった、

引き出物で頂いた食器類。

ふたつきのパックとか。

また読みたいと思って、

何年も開いていない

本たち。

処分に、

ブックオフに

持って行ったら、

1500円にもなった。

誰かに読んでもらった方が、

家の本棚で眠ってるより、

本も本望だろう。

また読みたかったら、

その本も

私の手元にやってくる。

物持ちだったけれど、

だんだん

捨てられるようになってきた。

そういえば、

江原啓之さんの『苦難の乗り越え方』という本に、

「捨てることは、

パワーのいること」と

書いてあった。

物とお別れすることができるようになった私は、

物や

人に

執着しなくても、

「大丈夫」に

変わってきているのかな。

残念ながら、

いとおしく愛着が

わきはじめたら

この家と

別れないといけないことが

決まった。

あと2年ほどあるけれど、

2年後は

親戚の手にいくことに

なるらしい。

出会いがあれば別れもある。

だから、

この

ひととき。

ひとときを

味わって生きたいな。

いつまでいられるかわからないけれど、

それまで

手を加えたり、

不要なものは

なくして

シンプルに

過ごしたい。

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ゲーム依存症から 共依存へ

あれだけ

辞めたくても辞められなかった

パソコンゲーム。

10時間以上同じ姿勢を続けるために、

肩や腰が

凝って

どうにも辛くなる。

それでも辞められない。

食事も

別にどうでもよくなる。

買い物も面倒に。

それでも、

夫がいるときは、

ゲームはしない。

主婦もやらずにゲームばかりしていると

自分を責めている

罪悪感からだと思う。

段々エスカレートしていくと、

出勤する夫を見送るやいなや、

すぐにゲームを始め、

帰る時間ぎりぎりまで、

やり続ける。

ギャンブル依存症、

パチンコ依存症と

変わらない。

どうしてゲームをやめることができたのか、

思い出してみた。

はっきりしないが、

思い当たるのは、

体が

同じ姿勢でいられなくなるぐらい

悲鳴を上げたこと。

接骨院に

毎日通わないと

動けなくなるほどだった。

あと、

ギャンブル依存症者の

夫が作った借金が

発覚したせいで

ゲームをやめることができたのかもしれない。

はっきり覚えていない。

でもそうだとしたら、

私は

夫の世話をしないといけないという、

自分の生きる価値を

ギャンブル依存症者の

世話をすることで、

見出して、

ゲーム依存する必要がなくなった。

自己肯定感のなさを

夫のお世話をすることで

見出したのだ。

だったら、

どんどん、

夫を駄目人間と称して、

私の夫のお守りは

エスカレートするしかなかったんだろう。

共依存に

人に依存することに

対象を変えたのか。

そう思うと、

わたしの共依存は

本当に

根の深い

旨癖なんだと

痛感する。

やっぱり、

ひとりでは

難しいんだ。

12ステップを

仲間と

歩まないと

どうにもならない

「核」を

私の中に

もっている。

いまでも、

ふと、

パソコンゲームの誘惑に

負けてしまうかもしれない

自分が

心配な思いを

感じる。

ハイヤーパワーを感じよう。

今の私の力を

信じて、

仲間のいることも

忘れないで。

連絡してもいいのかもしれないな。

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ゲーム依存症 スリップの危機

わたしは

ゲーム依存症だ

と思う。

結婚してすぐ、

私は「ひきこもり」に

近い状態になった。

そのとき、

2年間ほど

家にいる時は、

ゲームだけをして過ごしていた。

確かに、

父の手伝いの

週2~3回の塾講師の仕事は続けていたが、

主婦の仕事は

ほとんどできてなかった気がする。

社会人を経て

大学に再び通った私は、

4年の卒論の時期に、

結婚式を挙げた。

新婚生活は、

居間に

資料が散乱し、

昼夜関係なく

パソコンと資料に向かう卒論制作を

2ヶ月過ごした。

元夫は

仕事から帰ると

私の邪魔にならないよう

イヤホンをして

自分のご飯を食べながらテレビを見ていた。

そういう優しい人だった。

結婚式の準備、

そして式を迎え、

卒論を完成させた頃、

私は燃え尽きて、

何もやる気が起こらなかった。

ちょうどその頃

落ち着いていた

「死にたい病」が復活。

恋愛に浸ることや、

卒論、

式の準備で

忙しく過ごすこと、

時間に追われることで

寂しさや

自己肯定感のなさを

紛らわしていたんだと思う。

無気力な私は

ただ、

パソコンの

ゲームにのめりこむことで

現実逃避していた。

と今思う。

あの、

のめりこみは異常だ。

体が、

腕が、

痛くても、

辞められない。

今日こそは、辞めよう。

そう思っても、

少しだけ。

そう思って

やり始めれば、

夫が帰ってくる時間までやり続ける。

そんな自分を

責めながら、

辞められなくて苦しむ。

だから、

今はゲームを封印している。

パソコンからは、

ゲームのソフトは

削除して。

今日、

ドッグフードのHPに

行った時のこと。

ふと、

わんこのゲームのページにいって、

ゲームをやった。

気楽な気持ちだった。

すぐに

のめりこむ私は、

集中して疲れた自分に、

ふと気付いて、

「やばい」と感じた。

スリップしている気がしたのだ。

アルコール依存症者の

「ほんのひとくち」

そんな気分だった気がする。

なにげない

軽い気持ち。

でも、

どうしようもなく嫌な感じがした。

ふと、

まずいと思った私は、

今日は、

パソコンをこれ以上触るのを辞めようかと思った。

でも、

パソコンで処理する仕事が残っている。

パソコンゲームの誘惑に

勝てるほど、

自分は強くない。

私は依存症者だ。

パソコンを辞めて、

パソコンの触れないよう外出するか。

釣りにでも行こうか。

彼の家にでも行こうか。

こんな時は、

でも、

彼や釣りに

逃げると、

依存する対象が変わるだけ。

彼や、

釣りに依存していくだけのような気がする。

自分の時間を持とう。

こういう状態になる私は、

なにか

自分を大切にしていないかもしれない。

傲慢になってるかもしれない。

自分を感じないで

周りに流されているかもしれない。

一人の時間を持とう。

そう思って、

今日は彼の家にも行かず、

自分みつめをすることに決めた。

スリップの誘惑は、

心の油断と、

すきを狙っているようだ。

まるで、

悪魔が

気を緩めた時を

見計らっているかのように。

試されているのかもしれない。

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改めて、感謝の気持ち

居場所がないとき、

ホープヒルに

逃げ込んだ。

私の気持ちとしては、

そんな感じだった。

どこか安全な場所にいたかった。

仕事も休み、

どれぐらい滞在するかもわからない。

何がしたいかもわからない。

ただ、

自分の場所がない。

そんな想いだった。

ホープヒルで

何もしない時間を過ごした。

散歩や、

絵を描く。

自分がなにをしたいのか。

わからない気持ちを、

探す時間。

先生や仲間の見守り。

職場の先生方の見守り。

学校の子供たちの、

見守り。

そして、

ギャンブラーの元夫の見守り。

家族の見守り。

素直には、

まだ受け入れられないものもあるけど。

一人暮らしをして、

孤独に

辛い思いがした。

そんな時

仲間の存在。

「一人では生きていけない」

って、

こういうことなんだな。

多くの人に助けてもらって生きてる。

言葉の意味が

やっと実感できてきた。

感謝。

そう思うと、

対面している職場の状況も、

きっと

私の

血となり肉となるんだろう。

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当たり前の 幸せ

当たり前が、

幸せと感じる。

一年前の状況を振り返って、

今の

穏やかな生活を

過ごせる幸せ。

心から。

ギャンブラーの元夫は、

私がイネイブラー(尻拭いする人)を辞めるにしたがって、

段々、

目に見えるように

人格が破壊していった。

別居しても彼の行動に、

恐怖を覚えた。

どうにもならなくなって、

私の家に盗みに入ってくるかもしれない。

だっくす君を手放すことになって、

自暴自棄になり、

殺されるかもしれない。

先取りの不安といえば、

そうかもしれないが、

彼の人格が壊れていく様子を見て、

真剣に

命の恐怖を感じた。

自分の命は自分で守る。

そんな、

命の危険を感じることは、

安心して安全に生活が送れることを

ありがたいことだと

学んだ。

しばらく恐怖を感じたので、

実家に転がり込んだ。

その実家も、

機能不全家庭で、

居場所がない。

母の隣の、

物置代わりの父の書斎。

そこが私の部屋になった。

母は、(父も)

干渉の天才。

電話には聞き耳を立てる。

部屋の扉は

引き戸ということもあるが、

遠慮なく開け閉めされて、

プライバシーがない。

「今のは誰からの電話なの?

用は何なの!」

「何で泣いとるの?

私だって辛いんだ。」

辛くて泣きたくても、

仕事から帰ってゆっくりしたくても、

自分みつめをしたくても、

手紙を書きたくても、

父や母の遠慮ない行動に振り回された。

布団を引いたら

足の踏み場がないような小さなスペースに、

とりあえずの生活用品一式。

そんな生活の場から、

職場に通う。

だっくす君と二人の生活の場。

母は、

私たちがいることが、

不満で何かと文句を言った。

自分の思うようにならない私たちが、

どうにも目障りなようだった。

居場所の大切さを感じた。

「生きていく」のに

必要な「もの」が、

多くないことも知った。

「いのち」と「健康」が何よりの、

大切と感じた。

両親の

気分の激しい波に

巻き込まれ、

何かしら問題を抱える日常。

穏やかな時間を、

続けて持つことが

難しい環境。

気持ちのアップダウンが激しい

私にとって、

穏やかに

過ごす時間を、

見つけることは、

自分を感じる大切な時間。

自分を育てる

環境を選ぶことの

大切さ。

そして、

母への愛情欲求。

長い間

母に

「愛してほしい」

「認めてほしい」

無駄な努力をしてきたこと。

自分で自分を

愛せるようになりたい。

自分を受け入れてあげたい。

そう思える。

思えないときもある。

そういう時間を、

ゆっくり過ごせること。

一人暮らしに慣れてきたかな。

ふと

お洗濯しながら、

自分の時間を、

楽しめる私を

感じた。

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『12ステップと12の伝統』 ステップ10より

 ~

 私たちアルコホーリク(共依存と読み替えている)ほど、

恨みの犠牲になった人間はいない。

その恨みが正当かどうかが問題なのではない。

怒りを爆発させると、

その日一日がぶちこわしになり、

悩みの種を育てると、

みじめな役立たずの感じをつのらせることになるからだ。

まして、

私たちは、

正当な怒りと不当な怒りの区別さえうまくできなかった。

激怒したときも常に正当化した。

バランスのとれた人間にとって怒りは時たま発散する小さなぜいたくであっても、

私たちにとってはそうではない。

それは感情を酩酊状態に追いやるものだ。

このアルコール抜きの感情の酩酊状態から

ボトルに直行したこともたびたびあった。

また、

嫉妬、羨望、自己れんびん、

傷付いたプライドによっても、

心の平静さを乱され、

同じような結果になった。

そのような混乱のさなかにスポットチェックの棚卸しをすれば、

嵐のような感情をしずめる

大きな助けになるはずだ。

今日一日のスポットチェックによって、

日々の暮らしで生じるさまざまな問題に適した

対応方法が見いだせるようになる。

ここでは、

昔から引きずっている難題を考えることは見合わせた方がよい。

それは難しいかもしれないが、

慎重に、

その時期がくるまで延期する。

ここにあげた、

その場でする棚卸しは、

日常生活の起伏、

たとえば特に誰かのために、

あるいははじめてのものごとのために、

バランスを崩して間違ってしまわないようにするのがねらいなのだ。

 どのような問題であれ、

私たちに必要なのは、

自制心、正直な分析、

自分の誤りを積極的に認める気持ち、

同時にほかの人の誤りも積極的にゆるす気持ちだと言える。

しかし、

昔のような間違ったやり方に陥ったとしても、

落胆することはない。

これを身につけるのは簡単なことではないからだ。

完全さよりも、

成長を目指せばよい。

ドライドランクって、

こういうことなのかな?

感情を

感じるまま

表現することが、

楽になると

思っていた。

でも違うのかな?!

まだ、

怒りに関して、

私は

混乱しているんだ。

もう少し、

向き合うには、

時間が必要なのかもしれない。

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苦しいときは、成長のチャンス

今住んでいる場所を、

退去することになった。

いずれは

退去しないといけないことは

わかっていたし、

自分の居場所を

探そうと思っていた矢先だった。

それに伴って、

彼との結婚という話が、

持ち上がった。

彼は彼の両親との同居を希望した。

彼のお母さんも、

うちに来てほしいと。

急な展開に、

不安いっぱいになった。

ほぼ、毎日

彼の実家で、

夕食をするこの頃。

やっと、

彼の家にも慣れてきはじめた。

それでも、

不安な気持ちが

なくならない。

同居は、

来年明けに、、、

そんな話になった。

自分の気持ちが、

よくわからなくなった。

とりあえず、

自分の両親に話すか、、、

父だけでなく、

母にも

話したところで、

後悔した。

母は、

コントローラーで、

とたんに

私を

自分の思うように

支配し始めた。

もちろん、

私がどうしたいか、

どう思っているのかなんて、

聞く耳はない。

私が思っていることは、

ことごとく

否定した。

私は、

母の対応の仕方を、

忘れていた。

もう、

私の人生に

関係のない人と、

自分では思っていたから。

境界線を引くのは

もちろんだけど、

距離も

持たないといけない人だったことを、

思い出して、

辛くなった。

まだ、

私は、

新しい家族の中で

過ごすだけの力はないかもしれない。

話をしただけで、

自分の家族に対する

抱えている思いが、

恨みや、

甘えや、

辛い気持ちが、

あふれて、

抑えられない。

「家族」と

改めて言われて、

「結婚」と

言われて、

混乱している。

自分がどうすればいいのか、

わからなくなっている。

私はどうしたいんだろう。

それだけ、

彼の家族に、

依存して

見えない状態に

私は

はまっているのかもしれない。

愛する人に、

見放されたくなくて、

彼のしたいことが、

私のしたいことになっていないか。

彼のお母さんに、

見放されたくなくて、

お母さんの期待に

答えようと、

自分の気持ちに

ふたをしていないか。

私は、

私のしたい生き方を、

していい。

わがままでも、

私の人生なのだから、

わたしがしたいことを、

していい。

それが、

愛する人と、

分かれる結果になったとしても、

自分しか、

自分を守れないのだから。

自分だけが、

自分を大切にできる。

だから、

愛する人と、

妥協点が見つからなくて、

別れることになったとしても、

自分を

押し殺すことはできない。

自分が、

自分を守る、

覚悟

みたいなものを、

確認する時間が、

必要な気がする。

一人で、

生きる

覚悟。

自分を、

守る、

覚悟。

いまは、

彼と離れ、

一人で過ごす

時間が

必要だと感じた。

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遊ぶことへの、罪悪感

職場で、

仕事をしている仲間がいるとき、

私は仕事が終わったのにも関わらず、

遊ぶことに、

なんだか悪い気がする。

仲間が

仕事やセミナーやミィーティングに出ているときに、

遊んでいると、

「どうしたの?なにしてるの?」と聞かれて、

遊んでいたというのが

ためらわれる自分がいる。

家族に、

遊びに行くのに、

なんか理由を言わないといけない習慣があった。

遊びは、

本当に心のゆとりがないと、

してはいけない。

まわりの人々もゆとりがあるときにしか、

してはいけない。

遊びは

特別な状況がないと

許されないような

そんな感覚があった。

きっと、

自営業の家庭で、

ACの父、母の下、

家族はみんな一緒。

手伝うもの。

遊びなんてとんでもない。

お姉ちゃんなんだし、

遊ぶ暇があったら家事をしろ!

家族が喧嘩でばらばらなら、自分の都合は後回し。

自分より、家族優先。

「自分」はいつも置いてきぼりの家訓。

自分を大切にできない状況だったからなんだなぁ、、、、

いま、

思いっきり、

これでもかというほど、

遊んでいたい。

怠けているといわれてもいい。

なんにもしてないなー、

お気楽だなー、

無責任だなー。

そういわれても、

いまは、

あそびたい。

自分がしたいと思うことを、

自分の時間を、

満喫したい。

それが自分を大切にしているように感じるから。

自分のわがままを自分が許す。

仕事や

今までの思考パターン、

日常の出来事、

思うように行かないことも多いけど、

少しずつでいいから、

「自分を大切にしている」

と思える時間を

感じていたい。

自分を自分で大切に思えること。

とても幸せで、

胸がいっぱいになるほどの

喜びと、

平安な時間。

おなかの中にいる胎児のような安心感。

安心できる、

甘えさせてもらえる、

人たちの中で、

自分育てを

ゆっくりしよう。

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『今日一日のアファメーション』 人生を軽く生きていく

9月19日の

『今日一日のアファメーション』は

人生を軽く生きていく

です。

ときどき、人生の軽さを感じましょう。

回復、改善は、ときにはとてもつらい、苦しいものです。

毎日、

重々しく暮らしていると、

人生の楽しみがありません。

事を必要以上に難しくすることはありません。

いつも苦労すればするだけ、

人間が完成に近づくというわけではないのです。

自分でできること、

努力すれば変化が見られることには苦労するかいがありますが、

苦労しても変化がみられないようなことは、

自然にまかせてみましょう。

ケ・セラ・セラでなるようになりますから、

しかめっつらをやめ、

背中の荷物をおろして胸をはり、

軽く生きていきましょう。

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捕われる

気になることがあると、

そのことだけに捕われる時が

あります。

私の共依存のパターンです。

そんな時、

仲間や、

友人、知人に、

素直に

苦しさも一緒に、

話すことが

最近できるようになってきました。

いろんな意見を、

話してもらえる中で、

自分の

本当の気持ちに

気付いたり、

近づくことができると、

苦しさから開放されて、

楽になります。

わがままなようですが、

自分が楽になるために、

仲間や周りに、

助けを求めることができることは、

本当に、

ありがたいです。

私は、

周りに助けられて、

生きることができるんだなーと、

感じます。

苦しいときは、

人のせいにしていますが、

自分の問題。

自分の問題に、

目を背けたいんです。

わかっているけど、

捕われてしまう。

仲間に助けを求めるのと

同時に、

何も考えないのも、

いいなと

感じました。

海辺で夕焼けを

見る。

犬と思いっきり、

田んぼのあぜ道を

全速力ダッシュする。

何も考えないで、

捕われから

離れると、

ふっと

こだわる私が、

馬鹿らしくなります。

こだわる理由が、

見えてきたり。

何も考えない時間を、

作るのは、

必要だなー。

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無用の要

夜学の友達が、

はるばる4時間かけて、

遊びに来た。

海辺でバーベキュー。

その時、

彼女に

「先生(わたしのことをそう呼ぶ)は

無用の要だから、

(夜学のクラスで)人気があるんだよ。」

といわれた。

できなかったり

あてにならなかったり、

それでいいと

私を見ると

思えて、気が楽になる。

そういうことのようだ、、、、、

うーん、

『無用の要』か、、、

私は、無用、、、

手厳しいなぁ。

まぁ、なるほどね。

彼女に言われると、

納得。

確かに、

できないことが多い。

夜学では、

特に

ありのままなので、

仲間にも恵まれて、

とっても楽に過ごせる。

私にとっては、

居心地のいい空間だ。

信頼できる、

尊敬できる仲間だから、

無用といわれても

傷付かない。

どちらかというと、

受け止められる。

これぐらいの

気軽さが、

生きるのも楽かもしれない。

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世間体は 助けてくれない

Image_3 「世間体は苦しいときも、

辛いときも助けてくれない

気にするだけ損だなぁ」

時々、言葉が湧いてくるので、

習字や、絵などを描いたりします。

このときは、

家族は、崩壊寸前。

ギャンブル依存症の夫とは

喧嘩ばかり。

本当は息切れして、何もかも放棄したい。

なのに、

いい家族のふり。

借金で苦しい生活。

夫とは意思疎通ができない。

裏切られた思いばかり。

重い気持ちを抱えているのに、

さらに

いろんな世間体で縛られている自分。

どうにもならないとき、

この言葉を耳にしました。

世間体は、

気にしても困った時に助けてくれない。

気にするだけ

疲れる。

だから、

世間の目なんて、ほかっておこう。

相手にしない。

危険と思ったら、

距離をおく。

必要な人とは、

必要な時に

チャンスはやってくる。

自分を傷つける場所・人には、

近づかない。

自分を守る。

自分を守れるのは、自分だけなのだから。

自分が弱っている時は、

安全な場所、

安心できる仲間を

選んで

助けを求める。

そんな想いだったことを、

一年前の私は感じてたんだなーと、

自分の作品を見て、

思い出していました。

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気休めの方法を見つける

私は、心のスキマを、

人で埋めようとする。

共依存。

時には、

ゲームだったり、

SEXだったり、、、

依存体質なんだ。

ギャンブルや薬物、アルコールが

体質的に合ったら、

私は

何かの依存症になっていた。

はまりやすい性格だから。

体質的に

合わなかっただけ。

精神医学で、

「依存は気休めの方法が

ギャンブルだったり、

アルコールだったり、

拒食だったり、、

体質なので、

なかなか辞められません。

気休めの方法は、

体質で決まります。

好きなものは、

無理やり好きになるわけじゃない。

自分の体質です。

だから、

辞めることを目標にするというよりは、

違う気休めの方法を

探すことを、

模索していくといいかもしれません。」

と言っていた。

私も、

心の空白を埋める

気休めの方法を

探したい。

それが、

生産的なものならいいな。

おっと、

これが私の、

癖。

上昇志向は、

自分を苦しめる。

まぁ、いいことでもあるけれど。

上手く付き合っていこ。

仲間と会う、

ミィーティングやセミナーなどは

私にとって、

気休めの方法かもしれないと、

昨日ふと、

思った。

だから、元気になるのかな。

わからないことがいっぱいだけど、

わかる楽しみが、

これからあるんだと思うと、

嬉しくなってきたー

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歩み始めた仲間に会って

歩み始めた仲間に会って、

感じた。

私は、

自助グループにつながって、

1年半ほど。

たぶん12ステップとは一生関わるものと感じている。

先行く先輩の背中を

見ることが多かった。

昨日、

ミィーティングに参加して、

いつもと違った感覚を感じた。

それは、

仲間の話に、

耳を傾ける中で、

批判する気持ちが時々浮上してくることよりも、

仲間の成長を

喜んだり、

辛さを見守りたい

感じたのだ。

今までは、

歩み始めた仲間の話に、

「それは間違った対応だなー」と

思ったり。

口にはしないけれど、

もしかしたら、

批判?非難?

ネガティブな、攻撃的な感情だったかも。

先行く仲間の

共依存的な姿勢を見ると、

「歩んでいても、そうなのか」

なんだか、がっかりすることもあったり。

それが、

昨日は、

そういうことより、

ひとりひとり、

強く思う家族に通じない苦しい思いと、

葛藤と、

成長の喜びと、

長く歩んでいて頭でわかっていても

できない苦しさと。

そんな思いに、

穏やかな気持ちで、

一緒に感じることができた。

家族って、

お互いを思いやるあまりに、

気持ちがすれ違う。

人同士の

切なさを感じたり。

これは、共感なんだろうか。

共感だとしたら、

共感は、

悲しかったり

辛かったりするけれど、

穏やかな優しい気持ちでいられるものなんだ。

歩み始めの仲間に教えられて、

もう一度、

初心に戻りたい

初心に戻ろう!

そう感じた。

ホープヒルや関連施設などに

自分見つめに、

行こうかな。

そう思ったら、

穴の開いた私のこころに

ちょっと力がわいてきた気がした。

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実行に移してみる

彼がいないことで、

気付いたこと。

今の自分は、

やりたいことを、

何から優先させるか、

優先順位がつけられない。

何が第一か。

何が一番やりたいことか。

わからない。

やったことないんだから、

時間がかかる。

彼は、

当たり前に

それができるから、

彼の計画にのっかかって

できる気がしていた。

時間がかかっても、

自分でやらなきゃ

自分に力は付かない。

自分のやりたいことも見失うことがわかった。

今は、

パワーがそれ程でてこない。

だから、

やれることから、

一つずつやってみようと思う。

今日は、

銀行のカードの手続きのための準備ができた。

やりたいことが、

一つできた。

よし。

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持っている力を信じる。

ギャマノンで司会をしたときのこと。

はじめに、

ステップ本などを

順番に

読み合わせをしていきます。

そういえば、

AA・アラノン・ナラノン・ACODAなど、

考え方は、

みんな12ステップに沿ってはいるものの、

やり方が違う。

自由な雰囲気のところもあれば、

自由度が少ないところもある。

会場ごとでも違う。、

例えば

同じギャマノンでも、

まったく雰囲気が違う。

だから、

これと言って進行に決まったものはなく、

参加している人たちのカラーで

形作られるように感じます。

で、

いつもは、

読む分量を、

司会が決めていくのですが、

それぞれの

「読みたいだけ読む」

気持ちに

任せたくなりました。

自分のしたいことをすることは

コントロールかなとも思いましたが、

提案してみて、

駄目と言われればそれでいいのだし、

それぞれ仲間の判断に、

任せたくなったのです。

仲間の力を信じる。

大げさのようですが、

そんな気持ちになりました。

実は、

自分が他人をどれだけ信じられるかの

お試しだったように感じます。

思ったよりも、

仲間はたくさんの分量を読むのです。

私は1行読むだけでいい、、

ぐらいに思ってました。

1ページ以上

読む方もみえました。

相手の行動が、

予測できないことを、

見守ること。

ただの、本読みだけなのに、

お任せするのに、

落ち着かなかった。

だんだん、

仲間一人ひとり、

自分が読める量、読みたい量

読んでいるんだから、

みんなに任せればいいんだと思ったら、

こんなに楽なことはない。

見守ること、

人を信じることは、

慣れてないから、

はじめは

いろんな葛藤が心を揺さぶりますが、

慣れれば、

楽なんだなーと思いました。

慣れてないことを、

少しずつ

増やしていきたい。

成長につながる気がします。

何より、

楽に生きれそう。

チャンスを頂いて、感謝。

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ここにも仲間はいるよ

昨日、ギャマノンに行った。

実は、

早朝、

思い立って、

横浜のホープヒルのセミナーに、

行く準備をした。

玄関まで行ったのに、

行けなかった。

今一歩のパワーがない。

そういうときもあるな、、、

結局、名古屋のギャマノンに午後から

出かけたものの

最後までいる自信がなかった。

そういう時には、

ハイヤーパワーなのか、

司会になるんです(^^;)

なんとか、

途中退場もせず、終わりました!

ミィーティングが終わってから、

仲間にハグしてもらった時、

「仲間はここにもいるよー」と言ってくれたことが、

とっても暖かった。

あーそうだなーと、

仲間の柔らかくて、温かい体温を感じて

安心感を感じた。

捕われの、

孤独という

妄想の世界から、

現実に戻った感じ。

考えてみれば、

去年の今頃の私は、

人とハグができなかった。

安心感というよりは、

逆に、

危険で、

緊張するものだった。

仲間は、

安心できる。

信じられる自分がいるんだな。

そういう自分を信じられる私がいる。

去年よりは、、だけど(^^;)

仲間に会う時間が、

たくさんほしい

今の私です。

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